2022年6月7日火曜日

マタイによる福音書26章31~35節

 イエス様は弟子たちのつまずきを予告されます。弟子たちのつまずきは、神様によって預言者を通して伝えられていることでした。イエス様の十字架を前にして罪の闇はますます深まることが神様によって定められています。しかし、イエス様はつまずきの予告に続いて、「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」と伝えられます。先にガリラヤに行って待っていると約束されました。それは弟子たちのつまずき(裏切り)の罪を責めるためではありません。なぜなら、イエス様につまずき、そして裏切る罪も、十字架で贖ってくださるからです。「復活した後」とは、あなたがたを罪人とするために待つのではないということです。つまずきの罪を犯し、その罪の重荷に打ちのめされる弟子たちへのイエス様の深い愛の言葉です。その中には、イエス様を裏切る計画を進めているイスカリオテのユダも含まれています。ユダは後に、罪の重荷に耐え切れずに自ら死を選んでしまいます。それはイエス様の望むことではありません。むしろ、もう一度ユダと出会うことを救い主は望まれ、復活の命の中でユダを迎えようとされているのです。鶏の鳴く前に、イエス様と何のかかわりもないと言った後、罪の重荷に激しく泣いたペトロを愛する者として迎えてくださいます。どんな罪よりも、イエス様の十字架の愛と救いのほうが大きいのです。どんな罪も十字架の救いに勝つことはできません。そして、キリスト者は、つねに先に行かれるイエス様の赦しと慈しみと愛と恵みに迎えられます。これが教会を支える岩(ペトラ)である信仰です。

2021418日)

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