2021年8月18日水曜日

マタイによる福音書5章33~37節

 「誓い」についての教えです。誓いに似た意味の言葉に「約束」があります。約束の保障として様々な担保を用意します。しかしどれだけ高価なものを用意しても、約束を「絶対」に果たすと言い切れはしません。そこで、最高の担保として「神」を約束の保障とすること、それが「誓い」です。誓いは、誓った者だけのものではなく、神さまの威光に関わるものであるということです。それが破られるということは、明白な罪であり、威光を損なわれることになった神から裁かれ滅ぼされるということです。だから、誓いを必ず果たす力のない私たちは、神の怒りを招く罪を避けるために、「誓ってはならない」のです。しかし約束や誓い無しに、何をもって私たちは神さまとの関係を結べばよいのでしょうか?隣人との関係を何をもって結ぶのでしょうか?そこで、この主イエスの「誓ってはならない」と言われる「誓い」が、神さまではなく私たちの力に頼って誓うことを戒めていることが重要です。私たちは、まずはっきりと知らなくてはなりません。私たちは自分の髪の毛一本すら、白くも黒くもできない、思い通りにはできない小さな弱い存在です。私たちの力だけで神さまと結ばれ、隣人と結ばれることはできないということを自覚しなければなりません。しかし主イエスは、誓いを果たせない私たちの罪を負ってくださいました。不真実な私たちに、神さまは真実なお方である主イエスを与えてくださいました。この方の愛に支えられて、真実に約束に仕える者となるのです。

2018218日)

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