2022年6月7日火曜日

マタイによる福音書27章45~56節

 イエス様は遂に息を引き取られます。昼の12時から3時まで全地が暗くなったとは、アモス書89節以下の預言の言葉を想い起させるものです。それは、罪人が裁かれる終わりの日についての預言です。イエス様の十字架において罪人への裁きが起こっているのです。その闇の中でイエス様は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれました。これは詩編222節の言葉です。神に救いを求めても応えてもらえない苦しみの言葉です。イエス様は、私たち罪人の罪を引き受けて、ただお一人神様から本当に捨てられる「罪人の死」を迎えられたのです。イエス様だけが「罪人の死」を受けてくださいました。そのとき、私たちの罪は贖われたのです。もう神様は私たちを罪人として数えられないのです。イエス様の死によって、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けました。それは、神様と私たちを隔てるものが無くなったことを意味しています。地震や岩が避ける出来事は、神様の臨在を示すものです。神様が私たちに臨めば、罪人である私たちは耐えることができません。罪を裁かれ死ぬのです。しかし、この時は墓が開いて死者が復活したと記されています。死の方が退いて、いのちが与えられたのです。これはイエス様に続く復活のいのちを示しています。その時、信仰から最も遠いところにいたイエス様の十字架の見張りをしていた百人隊長に神様から信仰の言葉が与えられました。神様が私たちと共にいてくださる新しい歴史、救いの完成へと向かう歴史がこの日始まったのです。

2021711日)

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