イエス様と弟子たちの最後の夕食は「過越の食事」でした。これは神様が奴隷であった先祖をエジプトから救い出してくださったことを記念し、神様の救いを子孫へ伝えていく重要な食事でした。イエス様はそこで教会が「聖餐」として受け継いでいく新しい神様の救いの食事を教えてくださいました。パンを裂いて弟子たちに与えて、「これはわたしの体である」と教えられました。そして、杯を取って同じく弟子たちに渡して「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われました。「多くの人」の中には、イエス様を捨てていく弟子たち、裏切るユダも含まれています。「契約の血」とは、出エジプトの後、シナイ山でイスラエルの民と神様との間に契約が結ばれた時に、契約のしるしとして民の長老に振りかけられた血のことを指しています。神と民の契約は、これからは自分たちを救い出してくださった方を神様とします、という契約です。神様のご意志に従うということです。イエス様が十字架において示された神様のご意志は、罪人を「赦す」ということでした。イエス様が十字架で流された血は、神様の「赦す」というご意志に罪人は属するという契約です。イエス様を裏切るという「生まれない方が良かった」と言われるほどの罪を犯す罪人であっても、神さまの赦しの意志に従い、赦されるのです。そして、イエス様は、御国で共に飲む時まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはないと言われました。この契約は、別の契約の血を必要としない最終的な神さまの決定なのです。
(2021年4月11日)
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