イエス様は、言葉による御業を終えられると、再びご自分の死を予告されます。二日後に十字架にかかり死なれるのです。祭司長や民の長老、そしてイスカリオテのユダの裏切りと、罪の世も救い主への殺意を明らかにしていきます。罪がイエス様を十字架に着けるための計画を立てています。その間に挟まれるように、イエス様の頭に油を注いだ女の物語があります。これは、神様による十字架の準備です。女の事情や言葉はありませんが、イエス様への愛から油を注いだことは間違いありません。救い主は「メシア」という言葉で、本来の意味は「油を注がれた者」です。神様に特別な務めを与えられた者、例えば祭司や預言者や王が受ける者です。それがやがて「救い主」を意味する言葉になりました。油を注がれることによって、世にイエス様を明確に「メシア」すなわち救い主として明らかにされたのです。それは同時に、罪人の救いを成し遂げる御業に任命されたということです。イエス様の死が定められました。そこで、イエス様は油を注がれたことを、ご自分を「葬る準備」として受け入れられました。当時、埋葬の際に体や巻いた布に香油を塗るという習慣がありました。弟子たちは女のことを責めました。弟子たちも罪によってイエス様への愛を見失いつつあることを示しています。救い主を人々から奪い去ろうと罪が画策する中、神様がイエス様のために女を遣わしてくださったように思えてなりません。罪の闇の迫る中で、イエス様と私たちへの父なる神の愛が輝いたのです。だから、福音が語られるところで記念として語り伝えられるのです。
(2021年3月21日)
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