再臨についての教えの最後は、再臨されたキリストが王として裁きを行われることが語られています。右と左に分けられた人々は、一方は祝福をいただいて、もう一方は罰を受けます。この譬えを聞いて、自分はどちらに分けられるのだろうか、と考える方もあるかもしれません。その際に、胸を張って右側に分けられると言える人は少ないのではないでしょうか。そこで、王であるキリストが問われるのは「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人」への行いです。「最も小さい者」とは、世の貧しい者ではなく、キリスト者のことです。キリスト者は間違いなく、イエス様が間違いなくご自分の「兄弟」と呼んで愛している存在です。神を信じる信仰は、「存在を信じている」のではなく、神を愛していると言い換えられます。イエス様を信じる信仰も、「イエスという人が実在したことを信じる」のではなく、イエス様を愛すると言い換えられます。「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は兄弟をも愛するべきです。これが、神から受けた掟です」(ヨハネの手紙一4章20、21節)。そして、イエス様がこの譬えで教えてくださるのは、最も小さい者の一人に向けたどんな小さな愛も、イエス様はご自分に対する愛として覚えていてくださるということです。だから、イエス様を愛する者は右と左に分けられることを恐れることはありません。私たちが忘れるほどの小さな愛も必ずイエス様は覚えていてくださいます。
(2021年3月14日)
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