タラントンの譬えとして有名なたとえ話です。マタイによる福音書は、このたとえ話をキリスト・イエスの再臨を待つ弟子たちへの教えとして記しています。旅に出る主人がイエス様、僕たちが弟子たちを譬えています。タラントンという言葉が才能を意味するタレントの語源となっているので、与えられた才能を主のために生かしなさいという教訓として読まれがちです。しかし、このたとえ話の中ではタラントンは僕の力に応じて主人があずけた「少しのもの」に過ぎません。本題ではありません。額の差は、過大な負担を与えないようにした主人の配慮です。このたとえ話で問題とするのは、旅に出ている間の主人と僕の関係です。5タラントン、2タラントンを預かった僕は、主人の意を汲んで、すぐに商売をはじめました。主人と再び会う日を喜びとして、旅に出ている主人を愛して仕え続けました。そのことを主人は「忠実な良い僕」と呼び、喜びの内に僕たちを招いています。一方、1タラントンを預かった僕は主人の意を理解せず、直ちに1タラントンを地面に埋めて隠し、主人が帰ってくるまで主人との関係を断ち切ってしまいました。せめて、主人に仕え続けるのであれば銀行に預ければよかったのに、そうしませんでした。主人は財産が増えていないことを怒ったのではなく、主人との関係を断ち切っていたことを「怠惰」として責めています。信仰とはキリスト・イエスを愛することです。愛するキリスト・イエスの喜びを目指して、与えられた今日というタラントンを用いることです。再臨のキリストを待つ弟子の備えがそこにあります。
(2021年3月7日)
0 件のコメント:
コメントを投稿