2022年6月7日火曜日

マタイによる福音書25章1~13節

キリストの再臨を待つ教会の人々へのイエス様の教えの続きです。イエス様は、教会に集う私たち信仰を持つ一人ひとりに教えています。十人のおとめが、花婿を迎えるためにともし火を準備します。花婿がキリストであり、婚宴の席は神の国の救いを意味しています。ともし火は「信仰」です。十人は皆、花婿のためにともし火を準備しました。しかし、花婿の到着が遅れたために、皆眠り込んでしまいます。信仰や信仰生活において十人のおとめたちは同じように弱いものでした。そして、五人の愚かなおとめたちのともし火は消えそうになります。一方、賢いおとめたちは「油」を準備していました。同じように眠り込んでしまったのですが、愚かなおとめは花婿を迎えることができず、賢いおとめたちは花婿と共に婚宴の席に入りました。愚かなおとめと賢いおとめの違いは「油」を準備していたかどうかです。この「油」とは何でしょうか。一つは、信仰のともし火を燃やす神さまの霊、すなわち「聖霊」です。キリストの再臨を迎えるために、聖霊を求めることが大事なのです。もう一つは、この油を分けてくれるように愚かなおとめに請われた時に、賢いおとめたちがそれを断っている点です。勿論、意地悪なのではありません。この油は求められても分けてあげられないものなのです。それは、私たちのキリストへの愛です。信仰とはキリストを愛することです。キリストへの愛は、知識や力や財産のように分けることはできません。私たち一人ひとりとキリストとのことです。キリストの再臨を迎えるための備えは、何より救い主を愛する信仰なのです。

2021221日)

0 件のコメント:

コメントを投稿

マタイによる福音書28章16~20節

 復活されたイエス様と弟子たちの出会いの場所は山でした。そこで聞いたイエス様のお言葉は、新しい時代の始まりと、その時代の中へと使命を与えて弟子たちを派遣する言葉でした。これは、旧約聖書の出エジプト記のシナイ山での神様とイスラエルの民との契約と、律法が与えられた出来事が意識されてい...