2022年6月7日火曜日

マタイによる福音書24章32~35節

 終末と主の再臨について教えておられる箇所です。いちじくの木の枝や葉の成長から夏が近いことを知るように、終末も近いことがわかるということを教えられます。「これらのこと」とはこれまでイエス様がお話しになった偽メシアの登場や戦争、飢饉や地震、迫害といった事です。それらは恐ろしい出来事ですが、「終わり」ではありません。「この時代」とは罪の支配の下にある「よこしまで神に背いた時代」(マタイ1239)のことです。「これらのこと」の後、「この時代」が滅びます。罪と死の支配が終わるのです。私たちは、罪と死の支配こそ強力で、永遠で、むしろ罪と死の前では、主の福音がむなしくかき消されてしまうように感じます。しかしこの時代の中で私たちを脅かし、支配する罪と死こそが神様によって終わりを定められています。イエス様の御言葉こそ永遠です。そして、イエス様が御言葉によって告げられた神さまの救いの約束こそ永遠のものです。イエス様は十字架にかかり、救いを成し遂げてくださいました。私たちの迎える終末とは、時代とともに私たちも滅ぼされてしまうことではありません。罪と死が滅ぼされ、その支配から私たちが解放され、神様の救いの約束である永遠の命を生きる新しい時を迎えることです。お終いではなく、神様と共に生きる新しい命が始まるのです。それは喜びの日です。だから、いちじくの木の枝や葉を見て季節が近づくのを知るように、苦しみ、悩みの時、私たちを脅かす様々な出来事は「この時代」の中で起こります。しかしそのたびに終末と主の再臨の日に近づいていることを悟るのです。

2021124日)

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