2022年6月7日火曜日

マタイによる福音書24章1~14節

 イエス様はエルサレムの神殿が破壊されることを予告されました。神様が聖名を置く神殿が破壊されることは、弟子たちにとって終末のことと思われたのでしょう。そこで、それはいつ起こるのか。終末の徴について尋ねました。イエス様は、弟子たちに偽メシアの出現、戦争、飢饉、地震などに「惑わされないように」、「慌てないように」と教えられました。何故なら、それらは必ず起こることになっていますが、それらは終末ではなく「産みの苦しみ」だからです。終末と聞くと、私たちは「世界が滅びる時」と思ってしまいます。しかし、イエス様が教えられる第一のことは、終末とは滅びではない、ということです。迫害のことも語られ、その中でイエス様の名のゆえに憎まれ、殺されることすら語られます。偽預言者が大勢現れ、不法がはびこり、愛が冷えます。イエス様を信じるキリスト者の死もまた、「滅び」ではなく、終わりではありません。神様が定められる終末は、イエス様の再臨の時であり、救いの完成の時です。決して恐れるべき時ではありません。私たちを怯えさせるどんなことも、終末の徴ではありません。終末の徴は、福音が全世界に宣べ伝えられることです。一人も滅びないで永遠の命を得るために、福音が宣べ伝えられ、その後に終わりは来るとイエス様は言われます。マタイ福音書では一番最後にイエス様が弟子たちに全世界へ福音を宣べ伝えることを命じられたことを記しています。終末に向かう教会は、惑わされず、慌てずに、イエス様に仕え、救いの完成を目指して、最後まで耐え忍んで福音を伝えるのです。

2021110日)

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