2022年6月7日火曜日

マタイによる福音書22章41~46節

 ファリサイ派、サドカイ派らとの問答が続きました。それは「旧約」の問答でした、その後に、イエス様の方から質問されました。「メシアは誰の子だろうか?」当時、預言者の言葉から、メシアは「ダビデの子」と言われていました。そこで直ぐに彼らは「ダビデの子」と答えました。イエス様はメシア(救い主)について質問をされて、「旧約」から救い主による「新約」へと人々の心を向けさせます。メシアを「ダビデの子」と答えた人々には、メシアをダビデ王やソロモン王のように異邦人を支配するような強大な権力と富をもたらす地上の王という理解がありました。しかし、イエス様は聖書の言葉を引用されて、ダビデ自身が神の右に座しておられる救い主を主と呼んでいるのであるから、救い主はダビデ自身やソロモンのようなものではない、と示されます。マタイ福音書は「ダビデの子、イエス・キリストの系図」という言葉で始まり、ダビデの家系にイエス様が生まれたことを示しています。しかし、イエス様は聖霊によって宿ったダビデの血筋ではない神の子です。神の子がダビデの家系に代表される「人間の罪」を担うために人の家系の中に与えられたのです。メシアは「ダビデの子」と答えたときに、人々の目の前にいた方は「ダビデの子」と呼ばれてエルサレムへ迎えられ、賛美された方だということに気づいたはずです。イエス様の問いは、救い主としてイエス様を迎えるのか、という問いへと関心を向けさせます。しかし、それは人々の間にイエス様への殺意を決定的にもたらしました。これは救い主として十字架へと進む決意の質問なのです。

20201115日)

0 件のコメント:

コメントを投稿

マタイによる福音書28章16~20節

 復活されたイエス様と弟子たちの出会いの場所は山でした。そこで聞いたイエス様のお言葉は、新しい時代の始まりと、その時代の中へと使命を与えて弟子たちを派遣する言葉でした。これは、旧約聖書の出エジプト記のシナイ山での神様とイスラエルの民との契約と、律法が与えられた出来事が意識されてい...