2022年6月7日火曜日

マタイによる福音書22章23~33節

 復活を信じていないサドカイ派の人々がイエス様に復活に関わる質問をしました。律法に、「兄が跡取りの無いままに死んでしまった時に、兄の妻を弟は娶って妻として跡取りを得なければならない」という掟があります。そうすると、復活したときに妻は兄弟の誰の妻となるのか。兄弟が妻を共有することは姦淫の罪です。そうすると復活があるならば律法に矛盾が生じてしまうと考え、それは神様の権威を損なう考えだから復活はない、という主張をしたいのです。イエス様はサドカイ派の主張に対して、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」と言われ、続けて「復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」と言われました。ここで主イエスは、「復活の時」と言われます。復活はあると明言されます。復活は「神の力」によるものです。神様は、無から世界を、そして私たちに命をお与えになったお方です。この世において体験していること、結婚のなどの人間関係、重荷、病などの全てのことです。それらのものは、神さまを離れ、罪に脅かされた隣人関係であり、罪のとげです。復活の時に神様と共に生き、神様の愛をもって満たされる命である新しい永遠の命を与えられます。この地上の人生において与えられている賜物も重荷も、全て終わりを迎えます。そして、神様は私たちに、新しい歩みを与えて下さるのです。

2020111日)

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