人々は、イエス様を罠にかけようとして、皇帝へ税金を納めることが律法に適っているのかを尋ねに来ました。イエス様が、税金を納めなくてよいと答えれば反逆罪に問われますし、納めるべきと言えばローマ帝国の支配を良く思っていない民衆の支持を失います。この質問をイエス様は「偽善」と言われます。そして「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と教えられました。税金を納める銀貨には、皇帝の肖像と銘が刻まれていました。当時のローマ皇帝には「神の子」を意味する銘がありました。つまり、この銀貨はローマの皇帝が権力を用いて民に与えたものであり、皇帝のものとして皇帝に返すことに罪はない。しかし、イエス様が本当に大事にされたのは「神のもの」です。神のものとは銀貨のことではありません。神の肖像を刻まれた存在(創世記1章27節)である「人」のことを意味しています。私たち自身は神のものであるから、私たち自身を神へと返すこと、すなわち「偽善」を捨て「悔い改める」ことを求めておられるのです。それは皇帝も例外ではありません。皇帝もまた神さまのものである人です。神のものは神に返すということは、全面的に創造主であり、救いの神である主に立ち帰ることに他なりません。そのこと抜きに皇帝への税金問題だけを取り上げるのは、皇帝には神さまのご支配は及ばないと考えることであって、正しさを装う「偽善」が現れるばかりです。
(2020年10月18日)
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