イエス様は神様の救いをいただくことを婚宴に譬えられます。婚宴に招く王は神様で、王子がイエス様です。王子の婚宴に入ることが救われることを意味しています。王は婚宴の席がいっぱいになることを望んでいました。ところが、約束していた人たちは来ないどころか、王の家来を殺してしまいました。王の心を理解せず、王を尊ぶこともしませんでした。そこで、今度は見つけた人を全て婚宴の席に招きました。ところがそこに礼服を着ていない人がいたので、理由を王は尋ねますが、黙っていました。この人も王の心を理解せず、王を尊ぶことをしませんでした。王の家来を殺した人々を王は滅ぼし、礼服を着ていない人は外に追い出されてしまいました。どちらも、王に対して考えられない異常な対応をしています。しかし、ここに私たちを含む神様に背を向けて生きる人間の姿があります。神様からご覧になると、罪人のである私たちの姿は、あり得ないような姿なのです。王がこのような者を滅ぼし、外へ放り出すのは、当然です。ところが本来ならば王と共に怒るべき王子、すなわちイエス様は、罪人を救うために世に来られたのです。滅ぼされる私たちに代わって、十字架にかかって罪を贖ってくださいました。私たちの代わりに神の怒りを引き受けてくださいました。イエス様の救いの御業によって、神の国の外に放り出されるべき私たちは、婚宴の喜びに勝る神の国へと招き入れられるのです。
(2020年10月11日)
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