2022年6月7日火曜日

マタイによる福音書21章33~46節

  イエス様のたとえ話の中で、最も残酷な話です。残酷なことをした農夫たちの異常さが目立ちますが、それ以上に「わたしたちの目には不思議に見える」(42)のは、僕を殺されながら、何度も僕を送り、「息子なら敬ってくれるだろう」と息子までも農夫たちのもとへ送る主人の姿です。農夫たちをどうするだろうか、と問われて人々は「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、…(ぶどう園を)ほかの農夫たちに貸すにちがいない」と答えました。これが常識的な考えでしょう。ところが、ぶどう園の主人は違いました。主人は、悪い農夫たちを愛しているのです。だから、彼らが悔い改めることを期待し続け、遂に息子まで送っているのです。これは、イスラエル(ユダヤ人)の歴史であると共に、私たち人間へ向けられている神様の御心です。神様は私たちを愛し、期待し続けておられるのです。その中で、殺される息子であるイエス様も私たちを愛し抜いて十字架にかかってくださり、私たちの罪の贖いを成し遂げてくださいました。私たちの神様への信仰は、神様とイエス様の愛によって成り立っています。イエス様は隅の親石として、罪を打ち砕いてくださいます。福音は異邦人へと伝えられることになります。しかし、ユダヤ人が捨てられるのではありません。決して神様の方から私たちの悔い改めを諦めたりなさらないのです。これが神様の、「わたしたちの目には不思議に見える」愛なのです。

2020104日)

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