イエス様と祭司長たちとの対話が続いています。二人の息子のたとえを通して、イエス様は洗礼者ヨハネの洗礼について、教えられます。父の望み通りにしたのはどちらか、と問われて祭司長たちは「兄」と答えました。初めは逆らっても、考え直してぶどう園へ出かけたからです。これは正しい判断です。しかし、イエス様が人間を兄と弟に譬えて話しておられることが重要です。父の望みとは、「ぶどう園へ行って働きなさい」です。実は、よく読むと兄も弟も父の望み通りにしていないのです。何の働きもしていないのです。ただ兄の方は、考え直して出かけたので、「先に神の国に入る」だけのことです。二人とも働いていません。そこで大事なのが、父の望みの通りにする「子」が実はいるということです。それは、この譬えを語っているイエス様ご自身です。神の子であるイエス様が、父の御心に従って、世に来られました。十字架にいたるまで従順に父である神様の望みの通りになさり、働かれました。たとえ話の兄と弟とが満たさなかった父の望みを完全に満たして、兄と弟に譬えられる私たち人間が「考え直して出かける」、すなわち悔い改めて行けば、父である神様が神の国へ迎えてくれるようにしてくださったのです。イエス様の救いのお働きがあるから、私たちは働きの無いことを責められることなく、神様に迎えていただけます。イエス様は、洗礼者ヨハネの洗礼を天からのものと信じなかった祭司長たちに、神の国が閉ざされたとは言われません。彼らの救いの為に、父の望みの通りに十字架にかかられるのです。
(2020年9月20日)
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