宮きよめから続いて、「祈り」の大切さを教える出来事です。いちじくの木は旧約聖書の預言の中で、礼拝をする民(イスラエル)を象徴するものです。いちじくの木に葉が茂っているのは、礼拝や献げものが盛大に行われている様子を表しています。しかし、肝心の「実」がない。「実」とは、「信じて祈る」ことです。祈りの家である神殿が強盗の巣になっている様を表しています。そして、祈りが失われた時、どんなに熱心に盛大に礼拝をして献げものをしても、滅びていくのです。救い主であるイエス様の与えてくださる救いは、私たちに祈りを取り戻し、失われることがないようにしてくださるのです。弟子たちに問われて、イエス様は信じて祈れば山を動かすことができると教えられました。大事なことは「信仰を持ち、疑わないならば」ということです。このイエス様の教えは、「からしだね一粒ほどの信仰」を教えられたことを思い出させます(マタイによる福音書17章14~20節)。私たちは礼拝を整え、献金をします。私たちなりに「葉」を茂らせます。しかし、山を動かすような「信仰を持ち、疑わ」ないで祈っているでしょうか。むしろ、祈りながらいつも疑ってしまいます。願いながら、かなうわけがないと諦めています。そんな私たちの中にイエス様の方が「実」である祈りを見出してくださいます。そして父なる神の右で、ご自身の祈りととりなしをもって、からしだね一粒にも満たない私たちの祈りを、山をも動かす神の子の祈りが支えてくださるのです。だから決して私たちは祈りを失って滅びることはないのです。
(2020年9月6日)
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