イエス様は3度目の死と復活の予告を弟子たちに告げられました。神様だけが私たちを救うことができるとイエス様は既に丁寧に教えてくださっていました(19章16節~20章16節)。救いのためにイエス様が十字架にかかり復活されるということは、イエス様こそ罪から私たちを救う神の子であることを示されたということです。しかし弟子たちはイエス様の御心を悟らず、イエス様の救いを昔の偉大な王であったダビデの再来のように理解していました。そこで、弟子たちの間で順位争いが始まります。しかし、私たちを救う神様の御心は既にたとえ話の中で、最初の者にも最後の者にも同じようにしてやりたいと言った主人の言葉(12~16節)で示されています。天の国で順位争い程意味のないことはありません。しかし、イエス様は咎めるのではなく、むしろ彼らの姿をそのまま受け入れてくださいました。ご自身の十字架の贖いによって、彼らの中に造られる神の子としての新しい存在を見つめておられたのです。そしてもう一度、隣人を愛することを求められます。救いはイエス様が十字架にかかることによって与えられます。最初の者にも最後の者にも与えられます。もう自分のために何も心配する必要はないのです。自分を捨てて、他の人に仕える、というのではありません。自分のことは主イエスに委ねてしまった身軽さの中で、私たちの仕える生き方が生まれるのです。
(2020年8月2日)
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