2021年8月19日木曜日

マタイによる福音書6章16~18節

 「施し」、「祈り」に続いてイエス様が教えられたのは「断食」についてです。「施し・祈り・断食」はユダヤの人々が大切にする信仰の行いでした。イエス様は断食を否定はされませんでしたが、断食についての致命的な間違いを指摘なさいました。断食は、本来悔い改めの行為でした。そのため、苦しい顔をすればそれだけ真剣に悔い改めに集中していると他人に思ってもらえます。敬虔な信仰者だと評価してもらえます。そこに、致命的な間違いがありました。悔い改めで求めているのは神さまからの赦しであって、人の評価ではありません。人の評価を得て、肝心の神さまの赦しを受け損ねてしまったら本末転倒です。だから他の全てに背を向けて、ただ神さまに集中することが最も大切なことになります。神さまを父と呼ぶ私たちにとって、罪の赦しをその憐れみと愛をもって豊かにいただく悔い改めは、苦痛どころか、罪から解き放たれる喜びの時なのです。だからイエス様は、むしろ喜びを表す身支度をするべきだと教えられました。父なる神さまは、私たちの罪を赦してくださるために独り子であるイエス様を与えてくださいました。イエス様の弟子として神さまを父と呼ぶ者は、イエス様を迎えて、罪の赦しの恵みをいただいています。イエス様と弟子たちは断食しませんでした。罪の赦しを与える救い主を迎え、喜びに満たされているので無理に断食をする必要はないのです。

2018715日)

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