2021年8月19日木曜日

マタイによる福音書6章19~21節

 イエス様は天に富を積みなさいと言われました。この「富」とは私たちが命を預けることができる頼りとするものです。ある人にはお金かもしれません。才能かもしれません。愛情や友情といった人との交流かもしれません。それらは大切です。しかし地上に積まれる富の特徴は、虫が食ったり、さびたり、盗まれたりすることです。言い換えるならば永遠ではないということです。永遠ではないので、私たちがどんなに頑張って保とうとしても、本当に必要とした時に失われているかもしれないのです。それでは天に積む富とは何でしょうか。献金でしょうか。良い行いでしょうか。徳でしょうか。天における富は、地上の富と異なり「永遠」のものです。失われないことに特徴があります。例えば徳ということで、「赦し」についてイエス様は熱心に教えてくださいました。しかし、その中でイエス様が言われたのは、神さまが私たちを赦してくださることに比べたら、私たちの赦しの何と小さいことか。むしろ、神さまの赦しの大きさを知ったならば、赦すことは富ではなく、当たり前のことに過ぎない、ということでした。ここに天に積まれる富が何であるかを知る手掛かりがあります。献金も、善行も、徳も、私たちに救いの命を与える力のある永遠のものではありません。しかし、罪びとの私たちを赦し、受け入れ、永遠に愛してくださる方、永遠の命をもって迎えてくださる方がおられます。すなわち天の父である神さまです。この方ご自身が天の富として私たちをお支えくださるのです。

2018722日)

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