2021年8月19日木曜日

マタイによる福音書6章1~4節

 「施し」を通して、善い行いを人前でしないように注意しなさいと教えられます。さもないと、本当に大切な神さまからの報いをいただく前に、神さま以外から報いを受けてしまうからだと言われます。善い行い、つまり愛の行いが自分を誇るための行いになってしまうのです。自分を誇る本心を隠して善い行いをすることは、偽善の罪を犯すことになります。そもそも施しをすることができるのは、その行いに先立って「悪人にも善人にも太陽を昇らせ」る神さまから恵みの施しを豊かにいただいているからです。神さまからいただいた愛の恵みを、私たちの行いを通して隣人に届けることが「施し」です。賛美されるべきなのは神さまであって、私たちではないのです。私たちが讃えられることを求めるならば、それは神さまの栄光を盗むことになります。神さまの愛を離れた施しには、神さまを忘れさせる誘惑が多いのです。だから主イエスは、徹底してこの誘惑から逃れるために、「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」というほどに気をつけなさいと言われるのです。神の愛によらない行いは、天の国への道を歩むことになりません。神さま以外からの報いは、この世の支配する罪と悪からの報いになります。それは天の国から私たちを遠ざける誘いです。まことの施し、善い行いの源である愛の神さまに心の目を向け、十字架で全てを私たちに施してくださった主イエスに心の目を向けて善い行いに励むのです。そこに神さまが愛の報いを与えてくださいます。

2018318日)

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