「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」この祈りが「主の祈り」の中心の祈願になります。主の祈りを教えてくださった直後にイエス様は赦しについて教え、18章には「七を七十倍するまで赦しなさい」と言われて「赦し」を教える譬え話を語ってくださっています。それほどにイエス様が重んじたことが「赦し、赦される」ということでした。「わたしたちの負い目を赦してください」とは、イエス様の十字架の罪の赦しの御業があって初めて願うことができることです。イエス様の十字架の贖いを信じて、父なる神さまに罪の赦しを求めるのです。もう一つの「わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」とは、私たちの罪が赦されるための交換条件ではありません。私たちの罪の赦しは全てイエス様の十字架によって与えられる救いにかかっています。これは、イエス様の救いをいただいて、神さまを「父」と呼ぶことができるようになった私たちが、神さまの子として、神さまの御心に適って生きる者となることを求める祈りです。私たちを神さまは「子」としてお迎えくださり、私たちの「父」となってくださいました。罪によって失われた神さまとの関係は新しく結ばれました。この神さまの愛を目標として、天の父の子として生きる姿が、「赦す」ことなのです。天の父に子として生きることを求めることがこの祈りの心です。
(2018年6月10日)
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