2021年8月19日木曜日

マタイによる福音書6章10節a

 「御国が来ますように」という祈りをイエスさまは祈るように教えられました。「御国」とは神の国、天の国のことです。神さまが支配なさるところを「御国」と言います。ですから、この祈りは「神さまの支配が来ますように」という祈りです。イエスさまはその活動の第一声として「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言われました。御国は近くに来ている。悔い改め、神さまに向き直るならもうあなたのもとに来るだろう。そのように神さまの支配はあなたがたの間に来ていると言われました。そして、このイエスさまの招きに応えたのが弟子です。弟子はその意味で既に「御国」を経験しているのです。にもかかわらず、「御国が来ますように」と祈ることを教えられるのはなぜでしょう。私たちは「御国」をどのようなものと考えているでしょうか。苦しみ、悩み、悲しみ、不幸のない世界と思うのではないでしょうか。神さまを信じる者は、苦しみから救われなければならない、悩みを解決してもらわなければならない、悲しみを遠ざけ、不幸を味わうはずがない、そのために神さまは働くのだ。私の望むことを実現するのが恵みなのだ、というのは神さまを支配しようとすることです。しかし、私たち信仰者も祈りの中でそのように神さまを、願いをかなえるために支配しようとするのです。この罪の誘惑はとても強いのです。だから、イエスさまは「神さまこそが支配される」ことを求めなさい、と教えられました。苦しみの時、悩みの時に最も必要なのは神さまの愛の支配です。まことの恵みをもって報いてくださる神さま御自身です。

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