「平和」という言葉は私たちの周りに溢れかえっていますが、実は私たちは「平和」をどれほど知っているでしょうか。互いに傷つけ合わない関係のことでしょうか。それならば、相手を憎んでいても、嫌っていても、安全であれば「平和」なのでしょうか。いっそ無視した方がいい、相手をいないことにした方がいい、ということだって考えられます。そんな私たちに向かって、主イエスは「平和を実現する人々は、神の子と呼ばれる」という幸いを語ってくださいました。「平和を実現する」という言葉は、以前は「平和を作り出す」と翻訳されていました。主イエスが語られることの前提は、今は平和が無い、ということです。無いところに私たちが作り出していくものが平和です。何かを作るときには、その完成を思い描くことができること、作り出す行程を知ることが大切です。では、平和の完成とそのための行程を私たちに身をもって示し、教えてくださった救い主が主イエスです。主イエスの十字架は、神さまと私たちの間に無かった平和を作り出してくださいました。主イエスのご生涯と、教えは平和を作り出す行程を教えてくださいます。そして何より、「神の子」とされる幸いは、実は主イエスの十字架の贖いによって既に私たちに与えられている幸いなのです。私たちの平和を作り出すわざは、手探りで、恐る恐るであっても、そこに父なる神さまが共にいてくださいます。
(2017年11月12日)
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