「柔和な人々は、幸いである」という主イエスの言葉は、「心の貧しい人々」とか「悲しむ人々」と違いネガティブなものでないし、「柔和」というのを「やさしい」と解釈すれば、素直に受け止められる教えのように思います。柔和というのは、心の柔らかさがあり、他者を受け入れることができる人。さらに他者だけでなく、自分自身を柔らかく受け止めている人です。良い自分だけでなく、ダメな自分、弱い自分、貧しい自分を受け止められる柔らかさを持っている人です。マタイ福音書は11章28節以下に主イエスの言葉を記しています。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」主イエスこそまことに柔和な人です。全ての人を受け入れるために十字架にかかってくださるほどに柔和な方でした。そこから、柔和というのは「やさしい」だけではないことが分かります。激しい愛の闘いをするものなのです。ここで主イエスが「幸い」と言って呼びかけておられるのは、「自分を愛するように隣人を愛する」ことを願い、自分と他者を受け入れる愛の闘いをしている人です。その戦いに苦しみ悩む人々です。その人たちは、主イエスに愛の軛をいただいて、それを一緒に担っていただき、共に「地を受け継ぐ」のです。
(2017年10月8日)
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