「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることはできない」と主イエスは断言されます。天の国の門を開ける鍵となるのが「義」です。「義」とは正しいということです。この「義」を間違って理解すると、この主イエスのお言葉は私たちを絶望させ、希望を失うことになりかねません。しかし、正しく主イエスの言われる、天の国の鍵となる「義」を知るならば、感謝と喜びをもって誰でも天の国に入ることができます。そのように大事な言葉が「義」です。律法学者やファリサイ派は当時のユダヤ教徒の中で完璧に律法の掟を守った人々です。それゆえに、自分達こそ救われるに値すると自負していた人々です。「義」を問われると彼らのように、自分自身がいかに正しい人間になるかが問題だと考えます。しかし、ここで求められているのは神さまの御心に応える義です。神さまが主イエスをくださったのは、私たちが「義」を満たす正しい人間であるかどうかを見極めるためではありません。罪人であろうとも、独り子主イエス・キリストを十字架の上で死なせてでも救おうとされる神さまの愛の決意のためです。そこで神さまが求められるのは、私たちが悔い改めて神さまのもとに帰って来ることです。その御心にお応えすることが「義」そのものです。主イエスの十字架の「義」が、私たちに天の国への道を与えてくださいます。
(2017年12月31日)
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