2021年8月18日水曜日

マタイによる福音書5章17~18節

 主イエスの十字架の福音と旧約聖書の律法は、対立したもののように考えられがちです。しかし、それは間違いです。主イエス御自身が言われるように、主イエスは律法を廃止するためではなく、完成するために来られたのです。主イエスが十字架にかかって救いの御業を成し遂げてくださったことに、律法の完成の姿があります。ゲッセマネで「御心がなりますように」と祈られて、死に至るまで神さまへの従順を貫いてくださり、私たちの罪を贖って私たちへの愛を死に至るまで貫いてくださいました。これが律法の求めた神と人の関係そのものなのです。律法は神さまの愛にお応えして生きることを掟として伝えたものです。愛に対しては、義務ではなく愛をもって応えることが律法に生きる者に求められた正しい姿です。しかし、律法を守ることが愛を離れて義務となったときに、愛ではなく、評価を求める律法主義が現れました。主イエスはそのように律法を守ることを教える者を厳しく批判されました。律法は神の愛に応え、神を愛し、隣人を愛する生き方を示したのに、むしろそこから人々を遠ざけることを教えていたからです。そこには神の名を呼びながら、実は神のない生活が現れてきました。主イエスは、この律法の求めを真実に貫いてくださり、律法に約束された神の恵みを、主イエスの十字架の救いを信じる私たちに与えてくださる救い主として来られたのです。

20171217日)

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