2021年8月13日金曜日

マタイによる福音書4章23~25節

主イエスはガリラヤ中を回って福音を語り、病人をいやし、患いをいやされました。そうして主イエスの評判は周辺一帯に広まります。そして、「大勢の群衆が来てイエスに従った」とあります。一見すると病気をいやしていただいたから主イエスに従ったのかと思いがちです。しかし、「いやされた人々が従った」とは書いていません。奇跡が人々を従わせたのではないのです。病をいやされたのは主イエスの憐れみからです。もう一つここで主イエスがいやされたものとして「患い」があります。「患い」と翻訳されている言葉は「弱さ」という意味の言葉です。必ずしも病気を指す言葉ではありません。確かに、病気の時は様々な弱さを思い知らされます。病気から来る痛みや、治療の苦痛、自分の心の弱さ、健康な人への妬み、人の親切を素直に受けられない弱さ、そういった弱さが私たちを苦しめます。自分自身の弱さを自分自身が最も嫌っているのです。しかも、それらは普段私たちが目を背けているだけで、実際はたとえ体が健康であっても、私たちを脅かす弱さです。罪に脅かされた弱さです。主イエスはそこに「御国の福音」をもたらしてくださいました。このように弱い私たちに神さまが今、主イエスとして近づいてくださり、たとえ自分自身が自分の弱さに責め立てられることがあっても、神さまはいつも私たちを共にあって、味方であってくださることを教えてくださったのです。そのとき、大勢の人々が、神を信じ、弱さの重荷を神さまにあずけて、主イエスに従ったのです。

(2017年9月3日)

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