主イエスは漁をしていたシモンとアンデレ兄弟を目撃し、いきなり「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。その言葉を、聞いて二人は直ぐに網を捨てて、すなわち自分の仕事を捨ててイエス様に従ったと書かれています。同じように、もう一組の兄弟、ゼベダイの子であるヤコブとヨハネも、主イエスに呼ばれて、直ぐについていきます。彼らは、漁をするための舟と父親を残して主イエスに従ったと書いてあります。福音書には、漁師たちの心情が描かれていないので、彼らがどのような思いで、従ったのかを知ることはできません。彼らがついていくことができたのは、ただ主イエスが出会ってくださり、言葉をかけてくださったから、としか言えません。彼らは、自分が生きていくために、仕事をしていました。その時に主イエスは話しかけてこられ、仕事を中断させられるのです。そこで一端、仕事を中断させて、「私についてきなさい」と言われます。わたしたちが生きるために頼っている自分の力をふるっている最中に、それをやめさせて、「ついてきなさい」と言われます。これは先週読みました主イエスの宣教の言葉である17節の「悔い改めよ。」ということと繋がります。「悔い改めて神さまを見なさい」ということです。「網を捨てる」ということは、まさに、自分が頼りにしていた自分の力を捨てるということです。しかしそれは人生を放棄することではありません。なぜなら、主イエスを与えてくださった愛の神は、私たちの人生に必要なものをよくご存じだからです。主イエスの招きに応える時にこそ、私たちは真実に私たちの力を満たし、人生を支え導く方に出会います。
(2017年8月27日)
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