2021年8月10日火曜日

マタイによる福音書3章13~17節

 マタイによる福音書でイエス様が登場する最初の出来事は「主イエスの受洗」の話です。罪のない神の子、救い主であるイエス様がどうして「悔い改めの洗礼」をお受けになったのか。まず第一に神の独り子である方が、私たち罪人の仲間となるためでした。洗礼は、罪人が神様に示す悔い改めのしるしです。逆に言えば、洗礼を受けるということは、「私は罪人の一人です」と告白することです。そのようにしてイエス様はこれからいつも私たちの側に、私たちの味方となってくださったのです。第2にパイオニア(開拓者)として、新しい道を拓いてくださるためです。どんなに心を込めて悔い改めても、救いが得られるとは限りません。救いは神様が与えてくださるもので、悔い改めを代価にいただくものではありません。どんなに真剣な悔い改めも神様との間と隔てる罪の壁を取り除くことはできません。罪を解決し、神様から「赦し」をいただかなければ救いの道は開かれません。救い主であるイエス様はやがて十字架で私たちの身代わりとなって罪の罰を負ってくださり、神様の赦しを私たちに与えてくださいます。そうして神様と私たちとを隔てた壁は砕かれ、神様と私たちをつなぐ道が拓かれるのです。そのことを先取りして、その道を神の霊が鳩のように瞬く間に降って来ました。神様の方から罪人に駆け寄ってくださり、「わたしの愛する子」と宣言してくださいます。この道はもう閉ざされることはありません。まことにイエス様こと私たちと神様とを執り成し、神の国への道を拓いてくださる救い主なのです。

(2017年8月6日)

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