2022年6月7日火曜日

マタイによる福音書28章1~15節

 イエス様の復活についての証言は聖書の中でとりわけ重要な箇所です。しかし復活ほど福音書によって記事が異なっている箇所はありません。共通しているのは「墓が空であった」ということと、み使いがイエス様の復活を告げたこと、証言者は婦人たちであったことです。それらに福音書ごとに他の証言を加えて、復活の意味を伝えようとしています。マタイ福音書は、復活の記事を出エジプト記の、神様が葦の海を割ってイスラエルの民を救ってくださったことと結び付けて理解しています。そのために、復活の時を夜中にし、婦人の証言者をマリア(ミリアム)に限定して紹介して、神様の恐れるべき御業である復活を、「死から命へ」、「(罪の)奴隷から(神の子の)自由へ」、「悲しみから喜びへ」という意味を強調しています。また復活は、イエス様がご自身の力で復活されたのではなく、神様によって「復活させられた」出来事であることを伝えています。それは、イエス様の復活を初穂として続く私たちの復活の希望に直結しています。復活は人には受け入れがたい、理解を超えた恐るべき神の御業ですが、喜びの出来事として信じることなのです。では、どうすれば信じられるのでしょうか。それは、復活されたイエス様がご自身で決められた時と場所において、イエス様とお会いすることによってです。婦人たちは復活されたイエス様にお会いして、復活を喜びとして信じました。弟子たちも、イエス様が指定されたガリラヤで復活されたイエス様に会って復活の信仰へと導かれました。復活の信仰は、理解ではなくイエス様の招きによって与えられます。

202181日)

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マタイによる福音書28章16~20節

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