2022年2月14日月曜日

マタイによる福音書19章16~22節

 金持ちの青年との問答は、救われるための試験ではありません。救いは「善い方」である神様によってのみ与えられるということを徹底して教え、神様が「隣人を愛する」ことを求めておられることを教えておられます。青年は、「どんな善いことをすればいいのか」、「どの掟を守ればいいのか」、「何が欠けているのか」と尋ねます。彼は自分の功徳によって救いが決まると思い続けているのです。しかし、「善い方」、「完全な方」は神様のみです。何をしようと、罪から贖われない限り救いを獲得することはできないのです。自分の力で救いを獲得しようとするならば、神様と同じ「完全」になるしかありません。イエス様は青年の真剣な問いかけを受け止めつつ、その考え方は自分を神様にしようとしている大変な罪に囚われていることを指摘されます。そして、あなたが神様のように完全になりたいのならば、完全に隣人を愛することを妨げているあなたの財産を売り払って施しなさい、と教えられます。それは青年にはできない事でした。神様のように完全にはなれないのです。イエス様の財産を施せという言葉は、青年に自分の力で救われることはできないことを知らせるためのものです。青年は悲しみの中で去って行きました。しかし青年を見送る方こそ、この人間の罪のゆえの過ちを深く悲しまれ、私たちの救いのために十字架にかかり、罪を贖い、救いを与えてくださる神の子、救い主です。

202075日)

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