マタイによる福音書の最初は主イエス・キリストの系図が記されています。ある人は、これは聖書に置かれた最初の躓きの石だ、と言いました。カタカナの名前が続き、はじめて聖書を読んでみようとする人の気持ちを萎えさせてしまうように思われるからでしょう。マタイ福音書は新約聖書の27の書物の中で、一番最初に書かれたものではありません。しかし順番が一番最初に置かれているのは、この系図があるからです。一つは、アブラハムから始まるこの系図を通して、救い主イエス・キリストは旧約聖書に記された神さまの救いの約束の実現であることを示しています。アブラハムからダビデまでは父祖の時代、ダビデ後から捕囚まで、捕囚からヨセフまで、と三つに系図を分けています。「父は走り、子が楽をし、孫は乞食となった」という意味の言葉を山室軍平は紹介しています。まさにこの言葉のように、アブラハムから始まる父祖の時代、神さまの祝福の約束を信じて歩き、走り旅を続け、ついに祝福の実りである約束の地を得たイスラエルの民は、ダビデの時代に繁栄を極めます。しかしその後、神さまへの従順を失い、国は滅び、多くの者がバビロンに捕らえられていきました。その後、ユダヤの地に帰還しますが、ダビデ王家の末裔すらも貧しい暮らしをせざるを得ないことになります。神さまの祝福の実りを、世代を重ねるごとに失っていくかのようです。しかし神さまの約束は決して無くなりはしません。ついにこの系図に、神さまの独り子イエス・キリストが加えられて、新しい世代が始まるのです。主イエスの救いをいただく者は、神さまの天の祝福をいただく子として、祝福の系図に名を連ねていく者なのです。
(2018年5月28日)
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