2021年10月7日木曜日

マタイによる福音書13章10~17節

 種蒔く人のたとえとそれに続く箇所は、イエス様のたとえ話を聞き、神の国の秘密を悟るための手引きのようになっています。イエス様が群衆にたとえ話をされた後、弟子たちがイエス様に近寄って、なぜ群衆にたとえ話で話されるのかを聞きました。それに対してイエス様は、神の国のことを群衆は悟ることが許されていないからだと言われました。普通、たとえ話は内容を悟らせるためにします。ところがイエス様のたとえ話は群衆にとって反対の働きをします。しかし悟ることが許されている弟子たちには、神の国の秘密を悟らせる無二の教えとなります。この不思議な二重の構造がイエス様のたとえ話の特徴です。弟子たちの質問を、ある牧師は「なぜ、あの人たち(群衆)はたとえ話の中に取り残されているのですか?」と解釈しました。イエス様のたとえ話は、難しいストーリーはありません。だからすぐに分かった気になります。そのように聞く者を捕えて、たとえ話の中に閉じ込めてしまうのです。たとえ話の中で、たとえ話の言葉をいくら探っても神の国の秘密は見つけられません。しかし、弟子たちにはイエス様がおられます。たとえ話を聞くときに大事なのは、たとえ話ではなく、たとえ話をされた方を知るということです。イエス様こそが閉じ込められたたとえ話のから脱出し、神の国の秘密へと導かれる鍵です。イエス様の十字架と復活の福音を鍵として、たとえ話は神の国へと私たちを招く神の言葉になります。

2019106日)

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