2021年9月2日木曜日

マタイによる福音書7章1~6節

 「人を裁くな。」これはイエス様の命令です。キリスト者は神さまに代わって人を裁いてはいけないのです。私たちは人の評価を気にして神さまの報いを失ってしまうことがあります。一方で私たち自身が人を評価し裁くこともあるのです。「裁く」というのは大変強い言葉です。白黒をつけるということですが、ここでは人を罪に定めるということでしょう。そこで、イエス様は言われます。「兄弟の目にあるおが屑は見える」、つまり他人の罪にあなたがたは敏感で、神さまに代わってそれを裁こうとする。けれども、「自分の目の中の丸太に気づかない。」自分の目の中に丸太があっては物を見ることなどできません。何が見えていないのでしょうか。それはまことの裁きをなさる神さまの御心です。神さまの御心が見えていないのに人を罪に定めるようなことは決してしてはいけない、とイエス様は教えられるのです。だからまずすべきことは自分の目の丸太を取り除くことです。どうしたら取り除くことができるでしょう。それは私たち自身にはできないことです。そのために来てくださった方が救い主であるイエス様です。おが屑や丸太は「罪」を譬えています。この罪を取り除くためにイエス様は十字架にかかってくださいました。そしてイエス様の十字架よって神さまの御心を私たちは見ること(知ること)ができるようになったのです。神さまの御心は「ひとりも滅びない」こと、「罪人を赦すこと」であったのです。この神さまの御心によって罪赦され、救いをいただいたのです。どうして人を「お前は救いに値しない罪人だ」と裁くことができるでしょうか。

201892日)

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